ゴンでもわかる、あの世のお話

人間もペットも、あの世で生き続けます

幽界の場とは

 

どこにあるのかな


[あの世]なんて、一体どこにあるのか...?
そこに固い地面や固い建物があるなんて、とても信じられない...。
これが大半の意見であることは承知しています(経験上)
今回は私なりの解釈を含めて、述べていきたいと思います。
前回の記事では、もう少しわかりやすく説明してほしいとの要望もありましたので、留意しながら進めたいきたいと思います。

さて、霊界通信では[あの世]は地上で生活している私達のすぐ目の前に広がっていると言っています。
だけど、周りを見渡してもそれらしきものはないし、天気の良い日に空を見上げれば雲しか浮かんでないけど(時々飛行機など)...他界した人間や動物はどこで生活しているのかな?と疑問に思ったり、あるいは、話自体が夢のようなバカげた話で笑ってしまうかもしれませんね。

人間の五感は、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚ですが、他の動物と比べると極めて限られた範囲でしか機能していません。
例えば、視覚は光の波長の一部しか感知できませんし、聴覚も20Hzから20000Hz程度の音しか聞くことができません。

可視光線(上図1)の領域は非常に狭いので「人間の目で見えないからそれは存在しない」ということにはなりませんね。
JIS Z8120の定義によれば、可視光線の下界は約360~400nm、上界は約760~830nmであり、それよりも短い波長のX線や長い波長の電波は直接見ることはできません。
見えないから無いのではなく、みなさんもご存知のように医療現場ではX線のレントゲンを使用していますし、電波のテレビやラジオは視聴・聴取していると思います。
人間の肉眼では捉えることができない領域が無数にありますので、頭の中を柔軟にしてから本題に入りましょう。地上には、異なる波動をもった世界があるという認識が必要になります。

私達の住んでいる地上の周りには、別の世界が浸透(しんとう)して存在しています。地上の人間には見ることはできませんが、そこで生活をしている人達がいます。いわゆる他界者と呼ばれている死んだ人間ですが、肉体を脱ぎ捨て幽体をまとい活発に活動しています。

私達が死んで、肉体が無くなった後に使用する霊的身体を便宜的に幽体(霊体)と呼んでいます。
幽体は肉体に重なり浸透していて、両者の間を結びつける接着剤のよな役割りをする中間物質(半物質)の幽質結合体がありますが、これを[ダブル]や[複体]等の名称で呼ばれていることがあり、一部のスピリチュアリストの間では誤解を招いているようです。
この幽質結合体が変化してシルバーコードになりますが、名称の由来は霊視によってコードが銀色に輝いていることが確認されているからです。
コードは肉体と幽体を結んでいて、
2本の太い(幅広)コードと無数のクモの巣状の細いコードで構成され、どこまでも伸びる性質を持っています。
この2本の太いコードは、頭部(松果体)と腹部(太陽神経叢)につながっていて、日本では古来より ”玉の緒
(魂の緒)” と呼ばれてきました。
*(2本の太いコードは、額部分とみぞおち部分につながっているという記述もあります) 
私達が睡眠中や臨死体験等で肉体と幽体が分離しますが、スピリチュアリズムでは両者を結ぶシルバーコードが完全に切断された時が人間の死であると定義されています。
 
死とは肉体から幽体への衣替(ころもが)えにすぎず、人間は一人の例外もなくそれまでに培った人間性と性格と知識をたずさえて幽界での生活が始まります(滞在期間の長短有)。
死んで霊になっても全く変わることなく同一人物のままなんです。
ですから、例えば怒りぽっい性格の人は、霊になってもしばらくの間は短気で怒りぽっいままなんですね(笑)。
霊的自覚が芽生えてきて、自らその性格を矯正しない限りは依然として持ち続けることになります。

天才科学者スウェーデンボルグは、生から死の過程を一行の短い文章にまとめています。
「一つの生命は別の生命へと連続しており、死とは単なる移行にすぎない」と述べています。まさにその通りで、さすが知の巨人と言われるだけあって物事の本質を端的に表現しています。
死とは肉体から幽体への移行であり、そして[この世]から[あの世]への移行にすぎません。そこに断絶はなく、全てが連続してつながっていますので心配はいりません。

次に幽体とはどのよなものなのか?ですが、霊界通信を要約すると肉体にそっくりの生き写しであるということです。
人間の身体と同じで、髪の毛があり、頭や顔があり、 目・鼻・口・耳があり、歯や歯茎や舌があり、胴体があり、手足の先には爪があり、心臓や内臓もあります。ただし、その構成要素が幽質で肉体より精妙化されているという相違点はあります。
そして、生前の肉体上の障害や病気は全て解消されています。
例えば...手がない、足がない、目が見えない、耳が聞こえない等や病気は肉体上のことであり、幽体は健全で影響を受けていません。つまり、幽体にはしっかりとした手や足があり、目が見えて耳も聞こえて、病気はありません。
それでは、定評あるスピリチュアリズム書籍から幽体について紹介します。

「私には、地上の肉体に生き写しの身体があります。手も、足も、そっくり同じで、貴方がたと同じように動きます。(中略) 私共には同じ感覚が具わっています。ものに触れればそれを感じます。何かを見れば、見えます。幽体は地上の物質ではありません。しかし、形や姿をちゃんと持ったものなのです。」
「肉眼には見えない高い波動の物質で、幽体が出来ているためなのですが。死によって、貴方は幽体に触れます。」
(アーサー・フィンドレー. 人間の生き方.桑原啓善訳.でくのぼう出版.1983.pp. 38-40)

身体に触ってみると固くて実質があり、目、耳、鼻、手足、そのほかあらゆる器官がそっくり具わっていて、まったく同じ要領で動いてくれる。
すなわち足で歩き、手足や腕などが思いどおりに動かせる。目で見、耳で聞き、鼻で嗅ぎ、口でしゃべる。そして物にさわってみると、神経の作用で立派に感触を覚える。これら五感の作用でまわりの環境が地上にいた時とまったく同じ要領で感識できる。
かくしてあなたは死後の世界が地上と殆ど同じであることを知る。(中略) 地上で記憶したことは何もかも記憶している。地上時代の人間関係や愛情もそのままである。(中略)
まわりの状態が地上とほとんど変わらないことに気づきはじめる。樹木がある。草が生えている。花も咲いている。見なれた景色がある。家が立ち並んでいる。通りを人々が往き来している。どうみても地上そっくりでる。何もかもが自分にはしっくりとくる(*11)。それというのも、親和力の法則によって、その人のその時点での状態に一番相応しい環境に置かれているのである。

あまりに現実的で、あまりに自然であるために、地上時代にいくらかでも知識を持ち合わせていた者は別として、そうでない者は自分が死んだことに気づかない。
(ジョン・レナード. スピリチュアリズムの真髄.近藤千雄訳.国書刊行会.1985.pp. 309-310.絶版)

定評あるスピリチュアリズム書籍では、幽体について実質的に同じことを述べています。幽体とは地上時代の肉体とほぼ同じであり、そして、同じように動き同じような感覚を持っているので、自分が死んだことに気づかない人達がいるということです。

(*11注釈. ゴンわか)意外に思われるかもしれませんが、私達は睡眠中に毎晩のように幽界を訪れているんですね。いわゆる幽体離脱をして、その時点での霊性レベルに相応した界層でさまざまな体験を積んでいます。その目的の一つが幽界での生活が円滑に行われるように準備や下馴らしをしているんです。自分の住処になる幽界を度々訪れているので、以前来たことがあるような親しみを覚えたり、しっくりとくるのはそういう理由があるからです。
ただ残念ことに、目が覚めると幽界での体験は思いだせません。肉体器官である脳の処理能力には限界があり、次元を超えた霊的世界の出来事を記憶することはできませんが、訓練次第では睡眠中の体験を思い出すことができると言われています。

シルバーバーチも地上に隣接した下層界は、地上とそっくりであると述べています。(以下Q&A形式になっています)

─── 幽界がこの世とそっくりであるというのが私には理解できないのですが...。
「地上界の次の生活の場は地上の写しです。もしそうでなかったら、何の予備知識もない幼稚な霊に耐え切れないショックを与えるでしょう。ですから、霊界への導入はやさしい段階をへながら行われることになります。こちらへ来てすぐの生活の場は地上とひじょうによく似ております。自分の死んだことに気づかない人が大勢いるのはそのためです」

─── 幽界ではたとえば心臓なども残っていてやはり鼓動するのでしょうか。
「肉体器官が残っているか否かはその霊の自覚の問題です。もし地上生活のあとにも生活があることを知らず、霊の世界など思いも寄らない人であれば、地上で具えていた肉体器官がそっくりそのまま残っていて、肉体的機能を続けています ── あらゆる機能です」

───では霊の世界についての理解をもった人の場合はどうなりますか。
「幽体の精妙化の過程がスムーズに進行します。ある器官が霊の生活に不要となったことを自覚すると、その器官が退化しはじめ、そのうち消滅してしまいます」
(シルバーバーチの霊訓 4. 近藤千雄訳.潮文社. 2004.pp. 124-129. 絶版)

 


前回と今回の記事で、幽界や幽体についておおよそではありますがわかったのではないでしょうか。当サイトの立場としては、「絶対信じてくださいね」というものではありません。
信じる信じないに関係なく読んで頂ければ、「必ず役に立ちます」というスタンスで自信を持って記載しています。みなさんが[あの世]へ帰還して、「なるほど、こういう事だったのか!」と確証を経るまでには時間がかかりますけど(笑)

それでは、冒頭でわんこ達も「どこにあるのかな」と疑問を呈していますので、幽界(幽体も同じ)はなぜ見えないのか?という私なりの解釈を述べたいと思います。
幽界は霊界通信によると表現の違いはありますが、[次元・波動・波長・バイブレーション等]が地上と異なるため、人間には知覚できないとされています。

「あなた方はこちらの世界よりも、振動の遅い世界に住んでいるというわけです。」
「こちらの世界をつくっている実質は波動です。光も同様です。この点はあなた方の世界と同様です。(中略)こちらの世界の実質は、地上よりも速く振動しているわけです。」
(アーサー・フィンドレー. 人間の生き方.桑原啓善訳.でくのぼう出版.1983.p. 144)

上記霊界通信では[振動]というワードが述べれていますね。
(最近ではバイブレーションという言い方が多くなりましたが)
これは地上と幽界では、振動数が異なるので肉眼では見えないということになります。地上(肉体も同じ)は振動が遅い、幽界(幽体も同じ)は振動が速いということです。[振動]というワードは、物理や専門職に携わっている人以外はあまり馴染みがありませんので、ここは一旦[速度]に置き換えて考えてみましょう。歩く速度や自転車の速度と言うように、日常生活で使っている言葉の方がイメージがしやすいと思いますのでね。
さて、ここからは私独自の解釈になりますので、想像の翼を大きく広げて細かいことは気にしないようにしましょうね(笑)。だいたいこういう感じだと思って頂ければ幸いです。

みなさんの目の前を、すごく速い速度の物体Aが横切ります。
そうですね、警官が持つ拳銃の弾の速度が時速1300km前後と言われていますので、その約3倍の速度マッハ3(時速3672km)に設定してみましょう。自分のすぐ目の前をマッハ3で通過する物体Aがあります。当然ですが、拳銃の弾でさえ見ることができないので、マッハ3で通過する物体Aの存在を知ることはできません。
そこで、自分も物体Aと同じ速度のマッハ3で並走したらどうなるかイメージしてくださいね。おそらく映画のスーパーマンのように空を飛ぶことになると思いますが(笑)、ぴったりと横並びで物体Aと同じ時速の3672kmで飛行します。感が良い方ならもうわかると思いますが、並走している物体Aを見てください。マッハ3で飛行しているにもかかわらず、物体Aは静止しているように見えて、どんな姿形をしているかわかりますね。しかも、自分の手を伸ばせば物体Aに触ることもできます。
これと同じことが[速度]を[振動]に戻して、地上(肉体)と幽界(幽体)に当てはめることができるんです。

わんこ達の疑問である[あの世]はどこにあるのか?ですが、地上で生活している私達の目の前に幽界は広がっていて、同じ振動(例の速度)になれば見ることができます。私達が死んで肉体から幽体に移行すると振動が一段と速くなり、その振動数に相応する幽界で生活することになりますので、そこでの存在物に触ることもできるというわけです。

最後は振動の話になりましたが、ドイツの物理学者でノーベル物理学賞を受賞したマックス・プランクは、量子力学の基礎を築いた量子論の父と言われている人物です。
そのプランク博士は、「この世のすべては振動であり、その影響である」と述べていますが、私は宇宙や[あの世]も振動によって構成されているのではと考えています。